20回目の人生を生きる天才達・甲本ヒロトwith松本人志・ビートたけし・中山(仮名)君

社長ブログ

みなさんは天才というとどういう人をイメージしますか?

 タイトルに挙げた内の3人、甲本ヒロト・松本人志・ビートたけし。

この3人はそれぞれ、天才と呼ばれる事が多いです。

 

 あまり興味もなかったのですが、これまで僕は、この人達が天才と呼ばれている事に

「どこが天才なんだろう・・・」といつも思っていました。

 

ここ数日、何のきっかけだったかわからないんですが、

 ふとyoutubeで、ブルーハーツの曲を流して聞いてしまいました。

youtubeって、すごいですよね? 一度みると、関連動画が的を得すぎていて、

 次から次へと止まらなくなります。

 

そんで、いろんな動画をこの一週間、仕事もすっぽかして、山ほど見てしまいました。

 

今回は、まるで、中毒のように、どうしても止められなくなってしまった一番の原因は、

 甲本ヒロトという人の魅力に取りつかれてしまったからです。

 

一週間取りつかれたように、甲本ヒロトさんについて調べていると、興味深い事が沢山出てきました。

天才と呼ばれるヒロトさんが、なぜ天才なのか?今までは全く分かっていませんでしたが、

 今は、くっきりハッキリと

あ~この人は紛れもない天才なんだ

って事がわかりました。

 

 そして、調べ学習をしているうちに、すでに天才として知られる松本人志さん、ビートたけしさん、との恐ろしい程の共通点やつながりが浮かび上がってきます。

 そして、そこに僕の友人である中山君(仮名)が登場します。ちなみに、彼は38歳の僕が、これまで出会った知り合いの中で、唯一の”天才”と確信をもって言える友人です。

 で、結論から言うと、この4人の天才が、追い求めているものが、実は同じものなんでは無かろうか??という壮大な仮説が浮かびあがってきたんです。

 38歳のいい大人が、まったく自分に関係のない人達の事をここまで調べて、浮かびあがった仮説ですので、それなりの根拠があります。

 そのため、大変長くなりますが、一つの記事にしてみようとおもいました。

そもそも天才ってなんだろうか?あと感性って何だろうか?

 甲本ヒロトさんと言えば、現在クロマニョンズのメンバーですが、

どうしても、イメージはブルーハーツのイメージが強いです。

 現在38歳の私の世代よりは、少し上、40~50歳の男子で、ブルーハーツを知らない人、というか、ブルーハーツが好きじゃない国民はほとんどいないんじゃないでしょうか?

 僕が一番多感な青春時代を過ごしたころは、ビーズとかミスチルとか、ワンズとかザードとかその辺りが全盛期の時代だったので、「ブルーハーツって、リンダリンダとトレイントレインのグループでしょ?懐かしいね」ぐらいの同級生が多かった時代です。

 僕自身も、高校2年生ぐらいまでは、そんな感じでした。

僕がブルーハーツに興味を持ったのは、高校2年生頃、友達の中山君(仮名)がブルーハーツをよく聞いていたからです。

当時の、僕は、地元の中学時代の友達と毎日のように集まって、ただただ遊びほうける毎日をすごしていました。

 たいていそういうグループには、ファッションリーダー的な奴いますよね??

僕のグループの中では、それが中山君だったんです。

 

 このグループは共通の趣味というか、そういうのは特になかったんですが、

ただただ集まって、しゃべっているだけで、めちゃくちゃ面白かったんですよ。

 

ちょっと話が飛んでしまいますが、

 自分達で言うのはなんですが、当時僕たちの笑いのレベルはかなり厳しい(高い)レベルだったと思います。

って大阪の高校生グループはたいてい自分達が世界一面白いと思っている節があるので、まあその中の一つだったという事ですね。

 笑いに厳しいグループって、わかると思うんですが、仲間内でいくら面白い事言っても、「お前、おもんないねん」っていう事はあっても、「お前、おもろいな」とか「あいつはおもろい」なんて事は言いません。

 僕を含めみんな”自分が一番面白い”と思っていたかったのですが、残念ながら、その中でも中山君のセンスはずば抜けていました。

 当時テレビの世界ではお笑いのセンス?レベル?で頂点に立っていたのは、やはり松本人志さんでしたが、すでに、大阪のローカルでは、2丁目芸人(千原兄弟、ジャリズム、中川家、メッセンジャー等々)のすんげーベスト10が放送されたり、天然素材(ナイナイ、雨上がり決死隊、FUJIWARA、チュッパチャプス等)が活躍するなど、お笑いの過渡期に差し掛かっていた時代だった思います。

 大変うちわの話ですが、そんな、今現在芸能界を牛耳っているほどのお笑い超人達よりも、当時の中山君の笑いのセンスはそれを凌駕するほどのキレがありました。

 もちろん、僕たちは表面的には言わずとも、心の中で「中山のセンスは異常だ」と誰もが認めていました。同じ人間とは思えないような、それはもう刃物のようにキレていました。

 38歳の現在まで、僕は彼ほどレベルの笑いを見たことはありません。

松本人志さんの周りにいた人達も同じように松本人志さんをそういう感じで見ていたんだろうと思います。

 多分、そういう”ずば抜けたセンス”というのは、テレビを通じてはなかなか伝わらず、身近にいないと感じられないんだと思います。

 話が大変前後しますが、今回甲本ヒロトさんについていろいろ調べている中で、ふと気が付いたことがあります。

 それは、

お笑いとか、ロックとか、もっと言えば、あらゆる芸術、数学なんかにもすべてに共通する、感性みたいなものがあるなってことなんです。

感性とは何?そしてそれを図る尺度とは?

 40前のおっさんが、こんなアーティスティックな言い方で恥ずかしいので、おっさんなりにこの共通する感性っていうのを説明します。

ようは、「あるあるネタ」って事なんです。

????

私が自分勝手に生み出した理論です。

 

 あるあるネタって、ネタによって、感じ方のレベルに差がでますよね?

ちょっと表にしてみました。(この表は後で何回も使います)

レベル1 へ~そうなん
レベル2 あ~わかるような気がする
レベル3 おーわかるわかる!
レベル4 あっ!それっ!
レベル5 うわー!これっっっ!!!
レベル6 ズッキューン!!!
レベル7 ????????

 つまり、

笑いでも、ロックでも、(僕はセンスないのでわかりませんが、多分)芸術とかでも、

人がなにかに感動する(爆笑する)のって、自分がそれまでの人生で味わったことのある、または生まれつきもっている、はっきりとした形のない感情とか、違和感とかが、無意識レベルであって

 偶然それを、別の人が表現したものを見たり、聞いたりしたときに、

 「あっそれわかる~!」 って共鳴したときじゃないでしょうかね??

 

それで、「この人もおんなじ事感じてたんや!」って感激したり(爆笑したり)するんじゃなかろうか。

という事なんです。

 

 そういう意味で、感性っていうのは、”あるあるネタ”なんじゃないかと僕は思うんです。

 

この感性っていうやつは、人によって、感じる分野も、感じ方の強弱も、全然違いますよね。

 

 例えば、僕は、ピカソの絵のどれを見ても、なんにも共鳴するものを感じません。それはもう、見事というまでに、な~んにも感じる事はありません。

 

 一方僕のような凡人は、”ピカソより普通にラッセンがすっき~”というフレーズには共鳴するものがあります。「あ~それそれ、わかる。」レベル2.5ってとこですかね。 

たいていの人は、そうではないでしょうかね?

 

 ただ、ピカソと一口に言っても色んな絵をかいていますよね?

前に、しくじり先生という番組で、オリラジの中田がめっちゃわかりやすいプレゼンしていたんですが、

出典:wikipedia

この絵を見て!「あっこれ!!わかるわかる!」と共鳴する人もいれば、

出典:wikipedia

こんな絵に共鳴する人もいるでしょう。

 どちらもピカソの絵です。ピカソはほかにも全然タイプの違う絵を山ほど書いています。

 オリラジの中田が言うには、ピカソがずば抜けて評価されている理由は、とにかく「作品の数の多さと、作品のタイプ?の多さがずば抜けていること」という事らしいんです。

 つまり、いろんなタイプの感性を持つ人々に、「わかる!!」と言わしめたという事が彼のずば抜けた才能の証明だと締めくくっていました。

 話が飛んで申し訳ありません。

例えば僕の場合、そういう芸術や音楽に共鳴するセンス、は一切ありません。断言できます。

 でもその代わりに、

”お笑い”に共鳴するセンスや、数学(一応元高校数学の教諭ですので)に共鳴するセンスは、それなりにあると思います。

 どちらも「その面白さわかるっ!!」と共鳴できるものがあるからです。

天才ってこういう人なのでは?と思ったこと

人が誰かに憧れたり、ファンになるときっていうのは、

先ほどの、あるあるレベル表

レベル1 へ~そうなん
レベル2 あ~わかるような気がする
レベル3 おーわかるわかる!
レベル4 あっ!それっ!
レベル5 うわー!これっっっ!!!
レベル6 ズッキューン!!!
レベル7 ????????

の、レベル4ないしは、レベル5あたりを

同じ人から、複数回以上感じたときではないでしょうか?

 

 あるいは、レベル6であれば、たった一回でも虜になってしまう事でしょう。

僕は中山君から人生で2度、レベル6の笑いをオミマイされたことがあります。もうなんというか、腹の底から湧き上がってくるような笑いです。

 この時に、圧倒的なセンスの違いを感じさせられました。「絶対にこいつには適わない」というセンスの違いを見せつけられました。表現しようがないのですが、ズッキューンという感じです。

 しかしながら、個人的には、僕は、それを超える、レベル7の感動というのを味わったことがありません。

残念ながら、僕にはそれ以上の感動を味わう、感性というか、才能が無いんだと思います。

 感性はあるあるネタですので、自分自身のセンスのレベルが高くなければ味わう事ができません。僕が中山君の発言をレベル6で感じる事ができたのは、そこそこ(当時は)笑いのセンスがあったからだと思うのです。

 で、たぶんなんですが、僕のお笑いに対するセンサーで感じる事のできるレベルは、本来レベル5程度が限界なんです。だからそれ以上になると、理解できなくなるんです。

でも人間って、普段潜在能力の30%ぐらいしか、発揮できていないって言うじゃないですか?

 このレベル6の笑いを突き付けられた時、よく覚えてるんですが、自分の深層心理にあったけど、自分では絶対に形にできなかったものを、ずーんと突き付けられたんです。

 だから、あるあるなんですけど、「あっわかる~!」ってレベルじゃないんですよ。

「ズッキューン」なんです。

 この時、体の底から笑いを超えた喜びというか幸せなみたいなものが付き上げてきたんです。

「すっげ~!!こんな世界もあるんや」っていう感じです。この日は一日中気持ちが高揚していましたね。

 僕なりの感動を味わった経験です。自分ひとりでは見れない世界を見せてもらった経験ですね。

 

では、レベル7の感動とはどのようなものなのか 

 甲本ヒロトさんは、自身がロックに目覚めた時の事を次のように語っています。

(中略)そんな頃にね、ロックンロールに出会ったんです。中1だったかな、たまたまラジオを流しっぱなしに聞いてた時に、突然、自分の体が、なんかこう、震えて、涙が止まらないんですよ。じゃーじゃー出るんです、涙が。そんで、声も嗚咽を漏らして、うわーんって泣いてるんですよ。何が起きたか分かんないんですけど、たぶん感動したんだと思うんですね。でも、何に感動してんだか分かんなくて、部屋中見渡しても分かんなくて。「あれ、もしかしたら……音?」って。「僕はこの音を聞いたらこんなんなれるんだ」と気づくのに、すげえ時間かかりました。で、その時初めて、やりたいことが見つかったんですよ。「もう1回聞きたい! 今みたいに、わーんって泣いて、感動ってやつをしたい!」

参照元:http://news.kodansha.co.jp/20160628_c01

こちらのインタビューでも、ロックに出会ったときの事を語っています。

ロックンロールとの出会いについて

──まずは,お二人のロックンロールとの出会いについて
お聞きしたいと思います。甲本さんは,中学1年生のとき,
ラジオでマンフレッド・マンを聴いたのが音楽との出会い
とお聞きしました。

甲本:そう,とにかく聴いてびっくりしたんだ。それま
では音楽に興味がなかったので,その音楽に感動して
いるか分かるまで時間がかかったんだよね。音楽に感
動するわけがないと思ってたから。でも他に原因が見
当たらなかったんだ。目の前に畳があって,畳をかき
むしってみたけど畳に感動するわけもないから,やっと
音楽に感動したことに気付いたんだ。

参照元:https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2014_06/p14-20.pdf

この時、甲本ヒロトさんが感じたロックに共鳴するもの、

それは、恐らくレベル7かあるいはそれ以上の感動だったんだと思います。

 

 私は、残念ながら人生において、それほど感性が共鳴する体験をした事がありません。

 

しかし、普通の人は、これほどの体験をすることは滅多にありません。この時、ヒロトさんは泣きながら畳を搔きむしっていたそうです。

 この感性は、ある分野に対して、よほどの感性を持っている人を持っている人しか味わえないものだと”推測”します。普通の僕には、それは予想する事しかできないからです。

 天才とは、こういう感性を持った人達のなのではないかと思います。

 

そこで、この時、ヒロトさんが、涙を流し、畳を掻きむしるほど共鳴した、

 「Manfred Mann – Doo Wah Diddy Diddy」という曲をyoutubeで聞いてみました。

残念ながら、僕にはピカソの絵と同じように、何も感じる事はできませんでした。(笑)

 

 僕は、高校2年生の頃、ブルーハーツの曲に興味を持って、めっちゃ聞くようになるのですが、

で、いまさらながらですが、はっきり言うと、

 ブルーハーツの事を本気で、というかコアなレベルで、好きな人ように、”ブルーハーツの良さ”を感じる事はできませんでした。曲にしても、詩にしてもいずれにしてもです。

 恐らく、ブルーハーツの事を本気で好きな人は、レベル5とかそれ以上で共鳴するものを感じる事の人達なんだと思います。

 そんな人達であれば、ハイロウズであろうと、クロマニョンズであろうと、ず~と夢中になって、彼らの曲(ヒロトやマーシーの曲)を聴き続けているんだろうなと思うんです。

 にわかファンの僕の場合、ブルーハーツの曲は全曲歌えますがハイロウズは1/3ぐらい。クロマニヨンズの曲はほとんど知りません。

 僕がブルーハーツに興味を持ったのは、ただ中山君がブルーハーツを聴いていたからです。

中山君は、笑いのセンスのさることながら、音楽やファッションのセンスも仲間内では光るものがありました。で、それは、明らかに、僕にはないものでした。

  中山君にしても、甲本ヒロトさんにしてもそうなんですが、彼らのような天才の感性には、お笑いや芸術といった分野で区切れない、共通するものがあるのではないか?

 という事なんです。

そう思った強烈なきっかけが次の動画です。

ビートたけしが甲本ヒロトに共鳴することとは?

 

「天才ビートたけしの元気が出るテレビ」

ビートたけしさんは、こういうタイトルの番組があるほど、言わずとしれた天才です。

 彼の映画が芸術の原点であるフランスで、日本人以上に評価されている事がその証拠でしょう。

 

私には、これまた、彼の映画がそこまで評価される理由がわかりませんが、天才なのでしょうね。

 そのビートたけしさんが動画の中(https://www.youtube.com/watch?v=ep2lWF6ArkA)で、

俺が16、17の時に、こんな曲に出会ってたら、涙してたんだろうなあ  

と語っています。

 天才ビートたけしが甲本ヒロトの歌に共鳴した感性というのは、ビートたけしのお笑いや映画の感性に通じるものがあるじゃないだろうかという事なんですよ。

 俺もしかしたら、コレやりたかったんじゃないのかな??と嫉妬した。

と動画の中で、語っています。なんとなく分かったような気になる話ですが、

よくよく考えると、

 たけしさんの言うコレというのが、凡人の僕にはよくわかりません。

文脈上は、甲本ヒロトさんがやっていたパンクロックという意味でしょうが、

 

 たけしさんが言っているのは、ヒロトさんが彼が”歌を通じて表現したい事”という意味なんだろうと理解します。

 これがどうしても分からないのですが、たけしさんにはハッキリとそれが見えているのでしょう。

僕は、そこに、笑いとロックに共通するものがあるような気がしてならないのです。

 

 なぜなら、僕の最も身近にいた、お笑い巨人、中山君の存在があったからです。

彼は、実はもうこの世にはいません。天国にいます。今から5年前33歳の時、自らの手で命を絶ちました。

 彼は、生前ロックにかなり傾倒していました。ただ海外のマニアックなロックではなく、日本人のロックにかなりハマっていました。ブルーハーツだけでなく、ジュンスカやユニコーン(奥田民生)・最後の方はブランキ―にかなりハマっていましたね。ブランキ―の良さは僕にはどうもわかりませんでした。

 ただ、自分自身が演奏しようとか、ミュージシャンになろうという事はなく、ただ、僕たちが感じるよりもずっと深くロックに共鳴しているんだろうな、という事だけは分かりました。

 僕は、この動画を見て、中山君が感じていたものは恐らくコレであろうという、確信のようなものを感じました。

 それが、笑いとロックの架け橋となるものではないかという仮説を立てたのです。

甲本ヒロトさんのいるロックのでかい部屋とは

 たけし軍団の水道橋博士が甲本ヒロトさんとなんと中学時代の同級生らしいのですが、その二人の対談に大変興味深いエピソードが沢山出てきます。

 たけしさんと、甲本ヒロトさんが直接対談しているわけではないですが、水道橋博士という人を通じて、この二人の感性が交錯しているので、面白いです。↓

https://www.youtube.com/watch?v=SS0ab57rePc

 この動画の後半の部分に注目します。

 水道橋博士がたけしさんのラジオ番組を聴いて、それに憧れたけし軍団の門を叩いたころから、

”憧れ”というものについて二人が語ります。

水道橋博士:たけしさんのオールナイトニッポンを聴いてこの世界にはいったわけじゃない?

     (中略)

      自分に影響を受けたものの感じっていうかさ、16才で聞いたラジオの感じってのが、ず~と残ってるよね。

甲本ヒロト:憧れちゃうよね~

水道橋博士:未だに俺さ、ビートたけしの前にでるとさ、もうドキドキするんだよ。近づいているだけで、ドキドキするんだよ。

甲本ヒロト:いや~そうだよ。それがあるから続けていけるんだよ。俺今年もローリングストーンズ見に行ったけど、

      あいつらほんとバカで、ステージに出てきた感じが、ベテランの大物ロッカーじゃないんだよ。なんか、親に養ってもらってる高校生のバンドみたいなんだよ。たたずまいもそうだし、演奏能力もそんなもんだよ。

     で、あいつらがなんでやってるかっていうと、これ俺の考察ね、

     金もあるし、今まで十分名作と呼ばれるものも沢山残してきた、もういいだろう。何もかもある。

      で、あいつらがなんでやってるかっていうと、

     あいつら、まだ憧れてるんだよ。

     ロッケンロールに

     それ以外ないよ。

     越えてないんだよ。

     だから、上から何かを投げる立場じゃなくて、まだ受け身なんだよな~

(中略)

     僕はね、ロッケンロールは宇宙規模の一つの部屋だと思う。

     楽曲であるとか、バンドであるとか、僕らに見えたり聞こえたり、鼓膜を揺らしたり、網膜に映るもの、それから心に響くものそこに入るための扉なんだよ。

     でね、みんなねその扉には触れるの。

     そりゃー触れるよね。テレビとかラジオとかから聞こえるんだもん。

     でも、あける奴が少ないんだよ。

     明けて一歩入ればね。そこはね並列でね。

      ヴあーんとなったとき(扉を開けて中に入った時)にはね。

     初心者だろうが、何だろうが、ミックジャガーとジョンレノンと並列なんだよ並んでるんだよ。

水道橋博士:ロックンロールっていうジャンルの中で、嫌いなもの好きなものあるとおもうんだけど、違った戸を明けてる感じ?

     例えば、この人がやってるロックと称されるものと一緒にされたくないものもあるわけじゃない?

甲本ヒロト:あっ!なるほど、それね厳密にはね、こういう事なんだよ。

      あのね、部屋は一つなんだよ。すっげーでかい部屋なんだけど、一つなんだよ。でも、扉がいっぱいついているんだよ。

     そこにビートルズっていう扉から入ってきても同じところにいくんだ。ローリングストーンズって扉から入ってきても同じところにいくんだよ。

     でそれぞれの扉があってさ、俺たちは今、クロマニヨンズって扉としてさ、こっから(誰かが)はいってきたときにさ、中に、ビートルズやローリングストーンズがいたよって言ってほしいんだよ。

     だけどさ、お前の扉をあけても、ここには入れねーぜっていうやつも中にはいる。

     お前のは別の部屋ってのは確かにある。

 で、この話の締めくくりとして、ヒロトとマーシー(真島昌利)は、しょっちゅういろんなところで、偶然出会うというエピソードがあります。

 で、それは偶然ではなく、同じロッケンロールというものを目指す、一つの部屋の住人として、同じ道を歩いているから出会うんじゃないだろうかという必然性について語って締めくくられています。

この話の中で、注目なのは、ヒロトさんの言うロッケンロールの一つの部屋というものの存在です。

 ジョンレノンやミックジャガーが追い求める(た)ロッケンロールに、ヒロトさんも全く同じものを追いかけている確信があるのでしょう。

 きっと彼らはそれぞれの作品を通じて

「それっ!!!!!わかる!!!」というお互いのロッケンロールあるあるを感じているんだと思います。

で、ここまでの流れで、少し感じた人もいるんじゃ無いかと思うのですが、ロッケンロールのすんげーでっかい部屋って、実は”笑い”ともつながってんじゃないの??ってことなんですよ。 

松本人志は本当に天才なのか?

中山君は、よく松本人志さんのことを話題にしていました。

他の芸人の事は一切話題にしないのに、

松本人志さんのビデオや、本は必ず買っていました。

 

 僕が上にも書いた、2丁目芸人の「すんげ~ベスト10」を見て、爆笑していたころ、

何度か、中山君に勧めた事があるんですが、

 中山君の反応は、イマイチでした。

やっぱり彼の感性では、当時の僕が、”最高レベルの笑い”と思っていた「すんげーベスト10」では、物足りなさを感じているようでした。

 

 彼は、よく、松本人志さんと自分の感性が似ているというエピソードを何度も語っていました。

自分がやったギャグを偶然まっちゃんがテレビでやっているのを見たこともあるといっていました。

 

 当時の僕はあまりそのことは信用していませんでしたし、そのギャグ自体が全然意味が分からなかったので、気にもしていませんでした。

 確か、自分の肩を押して、「タイガ~マスク」というようなギャグです。

今だに、全然意味がわかりません。

 

さて、そんな松本人志さんが、本当に天才であるのか?

またもや、水道橋博士が、語っています。

https://www.youtube.com/watch?v=shpWCyCxgPM

(松本人志さんは、たけしさんの影響を受けているのかどうかという話題で)

たけしさんの影響下にあって発言してるんではなく、

ライオンは同じ事を口にするんだって思うんだけど、似てるんだけど、影響下では言ってない。イズムの中で言ってない、ただ発想が同じになっていくっていうのは良くわかる。

貧乏っていうものののお笑いの雰囲気ってのは良くわかる・・・

 お笑い以外の武器が無かったっていう所の、貧者の剣っていう所の共通項っていうのはある(と思う)。

この話を聞くと、天才同士は、一般人の我々には見えない、何かで共鳴しているものがあるような気がしてなりません。

 水道橋博士は、見る側として、ある程度それが見えているんだとおもうんですよね。 

松本人志と甲本ヒロトの共鳴

ブルーハーツをよく知る人は、この二人の関係は良くご存じでしょう。

 僕の予想が正しければ、この二人の感性は、凡人には分からないレベルでつながっているはずです。

 

 少なくとも、松本人志さんがブルーハーツが好きであることは間違いありません。

https://www.youtube.com/watch?v=955GeH5ha2A

大阪から、東京へ進出する際に、歌った「君のため」です。

 君のため自体はマーシーの作品ですが、松本人志さんがブルーハーツを好きだった事は紛れもありません。

 このほかにも、

ハイロウズ時代の「ロブスター」というアルバムのジャケットの絵を松本人志さんが書いています。

画像検索結果

参照元:https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%96%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC-HIGH-LOWS/dp/B00005FDQ8

その他、テレビに出たがらない、ブルーハーツ時代に

ダウンタウンの「ごっつええ感じ」で乳首相撲をしたり、

ハイロウズ時代には、HEYHEYHEYに複数回出演しています。

 

日曜日よりの使者誕生秘話の真相

ネットで、「松本人志 甲本ヒロト」と検索すると

「日曜日よりの使者」という歌の誕生秘話がたくさん出てきます。

概要は、 

 ハイロウズ時代のヒロトが、自殺するほど思い悩んでいた時期があり、

死のうと決意したときに、偶然日曜日の夜に放送されていた「ガキの使いやあらへんで」という番組での松本人志のトークに魅せられ、自殺を回避できたのではないか?

 というエピソードです。

このエピソードは、ウワサであり、真偽のほどは全くわかりませんが

 

 甲本さんは、松本さんの結婚パーティで、この「日曜日よりの使者」を歌ったと言われています。

個人的には、信憑性が高いウワサだと思っています。

 なぜなら、甲本ヒロトさんは、過去の曲は歌いません。だからブルーハーツの名曲も解散後は一度も歌っていませんよね?

 それは、その時にやりたい事しかやらないという彼の生き方に反するからだと僕は思うんです。この動画でもそのように語っています。→ https://www.youtube.com/watch?v=zT-fXFJPayQ

 松本さんが結婚したのは、すでにクロマニヨンズが結成された後です。

でもこの時ばかりは、ハイロウズ時代の「日曜日よりの使者」を歌ったんです。

 

 その時にやりたい事が、「日曜日よりの使者」を松本さんに贈ることだったんだと思うんです。

だから、僕はこのウワサが限りなく信憑性が高いと思うんですよ。

 

天才達が抱える共通の闇とは?

 仮にこのウワサが本当であれば、ヒロトさんが自殺するほど悩んでいたというのは、ファンの立場からは非常にショックです。

 もちろん、凡人の僕には、ヒロトさんの悩みなど、理解できるはずもないのですが、

ただ、ヒロトさんの慢性的な悩みの一つに、「孤独」という事は常にあるだろうなと思います。

 

 これは、天才であるが故の、孤独と推察します。

考えてみてくださいね。

 

 彼が中一の頃に出会った、Mannfred man の曲を聴いて、同じような感動を味わった人は、甲本さんの周囲にたくさんいたでしょうか?きっと探せど探せど、一人もいなかったんだと思います。

 最近のインタビューの中にこんなものがありました↓ 

甲本ヒロト:中学1年とかの、聴き始めの頃ってさ、“自分がいいと思ったものは、みんなもいいと思うに決まってる!”って思うよね。
真島昌利:うん。
甲本ヒロト:俺、お母さんにも勧めてたもん。「おかん、これ知らんのんか、めちゃめちゃエエで」って。でも、“きょとん”ですよね。誰が聴いてもいいに決まってるって思ってたけどそうでもないんだな、ってだんだん気づくんです(苦笑)。

 中一の彼は、「自分がいいとおもったものは、みんなもいいと思うに決まってる」と思っていたんですよ。

 でも、そのうちに、いろんな事に気が付いていくんですよね。

畳を掻きむしるほど感動したことが誰にも理解されないんですよ。

 そういう意味で、ずば抜けた感性を持つ人って、とっても悲しんんだと思うんですよ。

ビートたけしさんが、ビデオの中で言ってた、

 この人はね。悲しいんだよ・・・(中略)

よく考えると、パンクでも何でもないんだな・・・

 演歌なんだよ。

って、こういう意味も入っているんだと思うんですよ。

 

そんな、孤独を慢性的に抱える天才ヒロトさんが、もし色んな複合的な悩みをかかえていて、「死にたい」と思うときがあったとすれば、

 おなじく、慢性的な孤独を感じているはずの松本人志さんの放送を見て、自殺を思いとどまった事にはとても説得力があるなと思いますね。

 そんな天才同士の彼らの共通する感性が垣間見える、動画がありました。

「甲本ヒロトが松本人志を語る」

 これはHITOSHI MATSUMOTO VISUALBUM

のプロモーションで取られたとみられるインタビューですが、

一生懸命やればやるほど、でちゃんうんだよ。コアな部分が、そう核になる部分、ほんとにそんな見せちゃっていいんだって

 そうするとね。恥ずかしいんだよね。見てる方も。恥ずかしいぐらいに見えちゃう感じが僕はすごく好きですね。 

と、これだけ聞くと、本当に何をいっているのか??この人は本当にこのビデオを見て何か共感するものがあったのか???

 と凡人の私は思うんです。

でも、その後、このプロモーションビデオの最後に松本人志さん自身が、

でもね~、ホンマの事言うとね、う~ん、こんなこと言うと誤解を招くかもしれないけど、実はね、このビデオは人に見せるために作ったんじゃないねんな。

 これはね、僕の日記というかね、そんな感じになってんねん。

そやな~談志師匠に3本全部、4時間近く見てもらったって言ったら、

嬉しいけども、恥ずかしいというか、日記を見られたというか、ケツをみられたような、プライベートなところを見られたようなそんな気持ちですけども・・・

このビデオの編集からすれば、最後の松本さんのコメントを聴く前に、甲本さんはビデオの感想を述べているはずです。

 そうだとしたら、松本さんがこの作品で表現している事を、甲本さんはきっちりと完璧に理解しているんでしょう。

 でなければ、この二人のコメントがここまで見事に一致する事はあり得ないからです。

甲本さんが言っている”コアな部分”というのは、松本さんの本気の部分という意味では?と思います。

 普段テレビで見る、松本さんは、一般ウケを意識して、大衆向けのお笑いギアで仕事をしているんだとおもうのですが、このビデオでは、松本さんのコアな部分、よほどの笑いのセンスが無ければ分からないレベルの本気モードで作った作品なんだろうと思います。

 こんなインタビューみると、このvisualbam 欲しいですね。素人の僕が、どこまで共鳴できるか、チャレンジしてみたいと思います。

甲本ヒロト、松本人志、ビートたけし、中山君に共通するもの

 ビートたけしさんは、動画の中で、甲本さんの歌を

「パンクでもなんでもない、演歌なんだよ」

と言いました。

 演歌を聴かない我々からすると、演歌ってとっても暗い曲が多いというか、ほとんどが悲しみや切なさをテーマにした曲が多いですよね。演歌が好きな人は、そういう悲しみや切なさに「ほんまそれっつ!わかる!」っていう共感を覚えるのでしょうね。

 たけしさんは、きっと、ブルーハーツの中に、演歌的な悲しい切ない気持ちを共感したんでしょう。

もし、この二人に共通するであろう、天才であるが故の深い感度での孤独な悲しさを二人が抱えていたのであれば、ブルーハーツの詩はどういう風にたけしさんに聞こえたのか想像してみました。

 そんな気持ちで、「人にやさしく」という甲本ヒロトさんの詩を見てみてください↓

https://www.uta-net.com/song/3810/

もし、甲本さんが誰にも理解してもらえない。心から理解してほしい友達が欲しいのに、深い部分で共感してもらえない。

 そんな孤独をかんじていたとするなら、

この歌は自分で自分を励ますために歌った歌に聞こえるんです。

 そう思って聞くと、ある意味とっても悲しい歌に聞こえるんですよ。

 

そうすれば、ビートたけしさんが演歌と感じ理由もわかるような気がするんです。

 

 甲本さん自身は

「僕らは適当に思ったことを歌詞にして、それをボールのように投げるんで、

受け取った人は、それを自分なりに解釈してほしい。」

とクロマニヨンズ時代に言っています。

 

まさに勝手な解釈かもしれませんが、今なおブルーハーツの曲が、

孤独な若者の悲しい気持ちの琴線に触れている事は紛れもない事実です。

 

孤独な天才には必ず相棒が必要

この4人の天才に共通しているのが、心の中にある孤独を抱えていたとしても、

孤独が故なのか・・・とても人に飢えている気がします。

 

 そして、それを支える相棒が必要な人達なんだろうなと思います。

 

例えば甲本さんには、唯一無二の相棒マーシーがいます。

ブルーハーツ結成のときも、ハイロウズ結成の時も、クロマニヨンズ結成のいずれの時も、マーシーが甲本さんを引っ張る形で、バンドを結成しています。

 マーシーは、ロックという共通の分野で、甲本さんを誰よりも理解しているんだろうと思います。だから、決して甲本さんを一人にしないんだろうと思いますね。

 上で紹介した水道橋博士との対談の中でも、ハイロウズ解散後の自身の置かれていた状況を

スライムみたいに、日なたで溶けて最後は、消えてなくなるんだろうな~と思ってたよ。

 と語っています。

ブルーハーツ解散後も、ハイロウズ解散後も、マーシーがヒロトさんを誘う形で、次のバンドが結成されています。

 ヒロトさんは、若いころ(ブルーハーツ・ハイロウズ時代あたり??)は、20日に1回ぐらいしか風呂に入らなかったほどの、ぐずら~だと自身で語っています。

 天才ってこういうイメージありますよね?ずば抜けた才能がある分、バランスに欠いているのは周知の事実だと思います。

 だから、こういう人の横には、常に、凡人との懸け橋になる相棒が必要だと思うんですよ。

ただ、天才のセンスを受け止められる才能が無ければその役は務まりません。それがマーシーなのかなと僕は勝手に想像しています。

 同じく、松本人志さんにも、浜田さん。ビートたけしさんには、相棒ではないものの、たけし軍団がいます。

松本さんにも、ビートたけしさんも、やたらと才能ある後輩を囲いたがりますよね??

 僕はただ、後輩好きなんじゃなくて、

「自分の才能を受け止められる、優秀な人」を常に置いておきたいんじゃないだろうか??

と考えています。それは、孤独が故の、人に対する飢えなんじゃなかろうかと。

 

 これは、単なる想像ではなく、ある程度の根拠をもって、書いている事なんです。

 

中山君の死と。甲本ヒロトさんが訴え続けている事。

「天才が自分を理解してくれる人に飢えている」という考えの根拠は、

中山君がそうだったからなんです。

 

 僕は、もともと結構な根暗で、思春期以降は一人でいるのが全然平気な人間だったんですが、

中山君は、とにかく新しい友達をいっぱい連れてきました。

 

 こういう天才は、人を見抜く目にも凄まじく鋭い感覚を持っているので、

自分の感性をある程度理解してくれる友達を沢山連れてきました。

 

 高校時代は、彼が連れてきてくれた友達のおかげで、色んな友達ができ、

僕にとってはとても楽しい青春時代を過ごす事が出来ました。

 

 しかし、彼はその後、まもなくして心の病を患いました。

病名は、彼の口からいろいろ聞きました。うつ病だとか離人症だとか

 色々言っていたように記憶していますが、果たしてどれが本当の病名かはわかりません。

 

彼がそうなった原因は今振り返ると良くわかるような気がします。

 簡単に言えば、友達がどんどんいなくなっていったからなんです。

 

僕らにとっては、彼はずっと友達でした。病気になってからも何度も遊びました。

病状がひどくなるにつれ、彼は僕らの誘いを断るようになりました。

 

 そのうち僕達も彼を誘うのをやめるようになりました。

僕たちもどうすればいいのか分からなかったんです。

 

 最後に彼にあったのは僕が29歳の時です。数年ぶりに彼を誘って、一緒にカラオケに行って、ボーリングに行きました。

今思えば、僕たちは全く感じなかったんですが、彼はそのとききっとより強く孤独を感じたんだと思います。

 たぶん、彼以外の僕たちは、みんな「悪い意味」で大人になっていたんです。

 

彼自身も社会に不適応を起こして、病気になり、彼のキレッキレの感性が失われつつあることを感じていたでしょう。

 そして、何よりも久しぶりに会った僕達が、”しょうもない大人”になってしまった事を感じてしまったんだと思います。

 5年前、彼が「亡くなった」と聞き、彼の実家に駆けつけました。まだ通夜の前日で、遺体はリビングに寝かされていました。

 遺体の前で泣いている僕たちに、彼のお母さんが、話してくれました。

彼が自ら命を絶つ前の日、押し入れから高校時代、みんなでバカ騒ぎをして遊んでいた時代の写真を見ながら涙を流していたそうです。

 その話を思い出すと、今でも涙が出ます。

こうなる前に会いに行っていればと後悔します。

 

 でも、今思うのは、彼が本当に孤独を感じたのは、

29歳で最後にあった時なんじゃないだろうかと思うんです。

 

 その頃、僕たちと会う事で、余計に彼に負担をかけてしまうのでは、と葛藤していました。

彼も、僕たちと会う事で、自分の病状がひどくなるのではと心配していたと思います。

 

 あの日は、彼自身も調子のいい日だったんだと思います。久しぶりに会った彼は元気に見えました。

相変わらず、全盛期ではなかったものの、彼の話にはキレがありました。

 

 その日彼と別れた後「あいつは良くなってきている」と話していました。

 

しかし、それ以降、地元に住んでいる友達が数回彼にコンタクトを取りましたが、会おうとしなくなったそうです。

 今思えば、彼はあの日、大人になった僕たちに失望したんだと思うんです。

それが今になってわかったような気がします。

 それに気がついたきっかけが、今回甲本ヒロトさんを調べた事なんです。

 

甲本ヒロトさんの言葉

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと

先生たちは僕を不安にするけど

それほど大切な言葉はなかった

 

少年の詩より(作詞 甲本ヒロト)

 

僕たちを縛り付けて、一人ぼっちにさせようとした

全ての大人に感謝します。1985年日本代表 ブルーハーツ

 

1985 より(作詞:甲本ヒロト)

 

明日保健所が来たら

捨てられちゃうよね僕たち

 

レストラン (作詞:甲本ヒロト)

 

人間はみんなよわいけど

夢はかならずかなうんだ

瞳の奥に眠りかけたくじけない心

いまにも目からこぼれそうな

涙の理由が言えません

今日も明日もあさっても

何かを捜すでしょう

 

僕の右手より (作詞 甲本ヒロト)

 

我々人類は バカ

過去・現在・未来 バカ

正義はあったのか バカ

正義はかったのか バカ

くり返し くり返し くり返し うたう

 

皆殺しのメロディ より (作詞 甲本ヒロト)

 

これらの歌詞は、ほぼブルーハーツの前半の時期に作られた歌詞から抜粋しています。

 実は、ブルーハーツ時代の後半の時期のヒロトさんの詩は、改めてみても、意味がちんぷんかんぷんです。

 そもそも、何かを伝えようという意思はあまり感じられません。

それに対し、特にブルーハーツの初期の頃の曲には、凡人の僕にも、なんとなく意味を想像できそうな曲があり、なんとなくメッセージとして何かを伝えようとしている歌詞が多いんです。

ブルーハーツ最後のアルバム DUGOUTに少しメッセージっぽい詩を見つけました。

本当はおおきな声できいてほしいのに

ため息だとか 舌打ちだとか

ひとりごとの中に隠してる

 

パーティより (作詞:甲本ヒロト)

 

甲本ヒロトさんのファンの方ならわかると思うんですが、ブルーハーツ時代から、クロマニヨンズの現在に至っても、ヒロトさんの言っている事、表現している事は変わっていません。

 それは、彼のインタビューなどでも垣間見えます。

クロマニヨンズがデビューする際のインタビューです。→ 

https://www.youtube.com/watch?v=betPdT1uCjQ

ロックンロールバンドがね

目指す場所はね。無いんだよ

例えば、ホウキでもいんだ、ギター持ってなくてさ

ロックンロールに憧れて 教室の隅っこで

ワァーってなる すっげぇ楽しんだ

そこがゴールです。

 そこにずっといるんだよ

そこからどこにもいかないんだよ。

 それが東京ドームであろうが、

教室の隅っこであろうとそんなの関係ないんだ

ロックンロールバンドは最初から

組んだ時点でゴールしてんだ

目的達成だよ。

これは、ヒロトさんの考え方は、ブルーハーツ時代から一貫しているものがあります。

 それは、中学1年の頃に、ロックンロールに出会って畳を掻きむしったその時に、確信を得たんだと思うんです。

 で、今回、彼の生き方や歌詞やインタビューなんかを通じて、38歳の今になってようやく自分なりに気が付く事があったんです。

 それは、

感性を押しつぶされたら絶対にいけないよ」ってことなんです。

 

何かに感動したり、共鳴したり憧れたり、っていう感性は、今思えば、10代の頃が一番敏感だったと思うんですよ。

 中学生とか高校生とか、人によっては小学生だったかもしれません。

僕のような多くの凡人は、子どもの頃から、

 将来ちゃんと生きていけるように、社会に適応していくことを大人に教えられますよね?

 

 

で、大人になるにつれて、

 心から楽しいって思う事も、心から面白いって思える物も、心からカッコいいって思えるものなんかも、

生活するために必要じゃないものじゃなければ、どんどん切り捨てていくじゃないですか。

 

 10代の頃って、自分の感性に素直じゃないですか?で、好きなものに没頭するじゃないですか??

でも、僕は違ったんですよ。

 好きでもないものを将来のためだと思って、山ほど食ってたんですよ。

で、そうやって好きじゃないものばっかり食べすぎると、

 そのうち脳がおいしもの食っても、反応しなくなるんですよね。

 

で、僕はおいしいものが何なのか分からない人間になってしまったんだと思うんです。

 

 そんな事を今になってようやく気がついたんですよ。

思春期にブルーハーツの良さに気が付いていた人って、そういう感性がまだ潰されていなかった人なんじゃなかろうかと思うんです。

 

 中山君が、どうしようもない孤独を感じたのは、

周りの友達の感性が、どんどん潰れていくのを他の誰よりも敏感に感じていたからなんだなと

今になって、ようやく気が付くことができました。

 

だれの事も怨んじゃいないよ

ただ大人たちに褒められるような

バカにはなりたくない

 

少年の詩より 作詞:甲本ヒロト

この大人たちに褒められるようなバカというのが、

まさに今の自分の事だったんだなと、

 

 多分、甲本ヒロトさんは、中学ニ年生の頃パンクロックに出会ったころにこのことに気が付いていたんでしょう。

そんな中学ニ年生の甲本ヒロトさんに38歳の僕が、ガツンと叱られている気がしてなりません。

 

 でも、僕自身、そこまで自分はバカだとは思いません。僕はいたって普通なんですよ。平均的なんです。

 

 

この一週間、甲本ヒロトさんを調べ、その魅力に触れていくにつれ、完全に感性という味覚が無くなっていた僕が、少しだけ味がわかるようになってきたんです。

 で、昨日夜中に目が覚めて一つ気が付いた事があるんですが、

みなさんもご存知のリンダリンダ

ドブネズミみたいに美しくなりたい

(中略)

ドブネズミみたいにだれよりもやさしい

(中略)

ドブネズミみたいにだれよりも暖かく

たけしさんも共鳴した、この歌の”ドブネズミ”なんですが、

この歌のドブネズミの意味って、誰しも一回は考えた事があると思うんですよ

 

 これ、味覚を失っていた僕は、なんとか理屈で理解しようと思っていたんですが、

しっくりする答えが分からなかったんですよ。

 

 で、今回夜中に目が覚めて少しわかったのが、

このドブネズミは何かの比喩(例え)じゃないってことなんです。

 

 ドブネズミっていう言葉を聞いたときに、湧く感情ってあるじゃないですか。

それがその時、美しい、やさしい、あたたかいってヒロトさんは感じたんじゃないかと。

 

 理屈では、わかりっこないんだと思うんですね。ただ、なんとなく心に響くのは、そういう事なんじゃなかろうかと。

 僕は、味覚失っていた頃、この歌詞の良さが全く理解できなかったんです。

でも、今日聞くと、このフレーズがとてもいいなって思うんですよ。

 

 これを詩とメロディーという形にできるヒロトさんの感性はやっぱり同じ人間とは思えません。

天才が生まれてくる理由がわかった

でも、甲本ヒロトさんのような天才はなんで生まれてくるんだろう・・・・

 

 そう思って、Youtubeの関連動画を何気にクリックしたら、その答えがありました。

Youtube ってすごいですね??この話を聞いたときにはさすがに鳥肌が立ちました。→ https://www.youtube.com/watch?v=81Rz4mW_87E

この話には、何か所か鳥肌が立つような内容があったんですが、

これを聞くと、甲本ヒロトさんや、松本人志さん、ビートたけしさん、中山君が天才として生まれてきた理由が良くわかりますよね。

 要するに、人間として生まれてきた回数が違うんですね。

20回目ぐらいなんだなという事で納得がいきました。(終わり)