ロックンロールの概念とは?甲本ヒロトの言う宇宙規模のバカでかい一つの部屋

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 ロックンロールとは??もちろん、音楽の一ジャンルではありますが、他のジャンルとは違い、ロックンロールには一種の哲学的な要素があります。

日常の中でも「ロックな○○だね」みたいな会話を聞く事もありますし、ロック歌手やバンドが、「あれはロックだけど、これはロックじゃない」なんて言い方もします。

 そもそも、こうした、音楽の一ジャンルを超えたロックンロールの概念とはどのようなものなのか??

私も含め、ほとんどの人は、これまでよくわからずに聞き流していたんじゃなかろうか?と思います。

 

 そして、大人になるにつれて、「どうでもいいやロックなんて。所詮ガキの道楽だろ・・・」と今となっては、そんな疑問すら一切持たない。そんな人がほとんどではないでしょうか?

 今年ついに40才の中年男性になった私もそんな大人の一人でした。

 

しかし、ある出来事がきっかけで、自分の心の片隅にひっそりと眠っていたこの疑問がハッキリと解決することになりました。

 

以前、「20回目の人生を生きる天才達、甲本ヒロトwith松本人志・ビートたけし・中山(仮名)君」というタイトルの記事を書いたことがありました。

 で、そのきっかけといのは、私の経営している車買取店のショボい事務所に、「この記事(上のタイトルの記事)を読んで、是非これを書いた人に会ってみたかった」と言う人が、わざわざ四国から会いに来てくれた。なんてこと事があったんです。

 この記事の冒頭に、”あるあるネタの共感度レベル表”的なものについて書いているのですが、その辺りに大変共感するものを感じていただいたそうで、「この記事自体が、その共感レベルのかなり高いレベルの記事だった」と言ってくださったんです。

 この嬉しいような、恥ずかしいような体験をきっかけに、よりロックンロールの世界に興味を覚え、ロックンロール音痴というか非ロックロール人間の私が、40歳になって、たどり着いた「ロックンロールとは」という永遠のテーマについて迫る記事です。

 いつもながら、短くまとめるのが苦手な私ですので、是非この長ったらしい記事にお付き合いいただけたら嬉しいです。

甲本ヒロトさんの言葉をヒントにロックンロールとは何かを考察

ハッキリいいます。冒頭に紹介した前回記事で、甲本ヒロトさんがロックとは?というテーマについて、いろいろとヒントを挙げていますが、

前回記事を書いた時点では、私自身はロックンロールとは何か?について、ちんぷんかんぷんの状態でした。

 

 これもあるあるネタかもしれないですが、自分がわからない話をする人に憧れる事ってありませんか?

で、憧れるんですが、どうしても理解ができない。それが私にとって、まさにロックンロールの世界でした。

「なんか全然意味わからんけど、自分よりセンスが良い人間が「かっこいい」って言ってるから、俺も好きって事にしておこうかな」みたいな感じです。

 恐らく、ロックンロールの概念に共感したり、それを理解するには、生まれ持ったセンス(感性)が必要だと思います。

では、私のように、そのセンスを全く持たなかった人には、ロックンロールの良さが分からないのか?本物のロックンローラーの言う言葉の意味が理解できないのか??

 今回の記事の主題は、ずばりこれなんですよ。

実はね、わかるんですよ。全くセンスの無い人間でも、ちゃんと勉強すればロックンロールというものが!

全てではないですよ、でも、一部ロックについて「あっ俺にも共感できる!!」と確信を持てるようになるんです。

 

 つまり、この記事の主題は、「ロックンロールに憧れるものの、ロックンロールが何が何だか理解ができず、どこがカッコいいのか正直わからない人」にピッタリの記事なのです(笑)。

 「そんな奴どこにいてんねん!」と言わないでね。多分僕の他には、数人はいてると思いますので。

で、始めに言っておきますが、基本的にはセンスの無い人間の書く事なので、一部の「自称ロックンロールを理解している人」からすると、

「そんなもんロックじゃねえ!」という人もいるかもしれません。が、どうぞご了承ください。

 

ロックンロールの概念を最も簡単にイメージする方法

 ロックンロールはとても抽象的な概念です。

だから、正真正銘のロックンロールを知っている人でも、ロックの概念を説明することは難しいと思います。

 

 そこで、僕は、ロックンロールとは正反対のものをイメージするようにしました。

そうすると、あるイメージにたどり着いたのです。

 

 まずは、ロックンロールとは対極にあるものとして、イメージの上がったものを羅列してみます。

国家、政治、権力、法律、会社組織、学校、教育、体育会、上下関係、先輩・後輩、封建社会、軍隊、社会主義、宗教、洗脳、戒律、常識、ルール、恥、幸福論、論理的、左脳的・・・・

 ここに挙げた者をひとくくりにまとめると、人間が人間と共生していく上でその共同生活をスムーズにするものや、仕方なしに強制されるもの、発生したもの。つまりシンプルに言えば、社会(society)そのものという全体像がイメージし易いと思うのです。

 しかし、こうやって、社会を構成するものを羅列していくと、ずいぶん息苦しいものを感じませんか?ようは、社会とは、人間が人間を縛り上げるもので、時代が進むにつれ、文明が進化するにつれて、どんどん縛りも増えていっていますよね。

 しかし、我々人間は、生まれたときからこんな社会的な生き物なんでしょうかね??

違いますよね?狼に育てられた子は、狼のように育つという事例が示しているように、人間は、社会によって矯正されていき、大人になるにつれ、徐々に社会的な生き物になります。

 ようするに、社会とは人間が人間に一方的に押し付けられているものと言えなくもないのでは無いでしょうか?

 この一方通行的で直線的なイメージを縦軸と考えてみましょう。(なぜ縦軸なのかは読み進めてもらえばわかると思います)

 しかし、このように押し付けられた社会的な価値観というのは、長い人類の歴史から少しづつ積み上げられたものであって、人間を動物の一種と考えると非常に不自然なものも多いですよね。

 例えば、国家という概念を考えてみると、なぜ誰の物でもない地球上の土地を、人間が勝手に線を引いて、「ここからこっちは俺たちのもの」ってやってるんでしょうか?

 長い人間の歴史の中で、社会が作り上げてきた国境なんですが、よくよく考えてみれば不自然な話です。

 別の例で、より狭い範囲で言えば、日本人特有の考えですが、先輩後輩という考え方。

生まれる年が一年早いと、それだけで”偉い”という付加価値が付くルールです。我々日本人にとっては、当たり前のことですが、こういう文化のない国に行ったら、同じ人間同士でも「なにそれ?意味がわからない」と言われてしまうようなルールです。

 このように、自分の本来の意志や本能とは関係なく、社会に一方的に植え付けられた価値観を、ふと横道にそれて、それを真横から見てみると。この世の中には、ずいぶんおかしな価値観が沢山見えてきませんか??

 ここで、ロックンロールとは何か?についてに僕なりの考察を説明します。

これまで聞いたロックと呼ばれる歌の歌詞にでてくる単語や、ロックの概念っぽいものを羅列していきます。

 私には以下のような単語がひらめいてきました。

本能、感情(喜び、悲しみ、怒り、楽しい)、感性、共感、欲望、感動、愛、直観、人間らしさ、自由、かっこいい、ダサい・・・

 ここにイメージしたものは、先ほど社会をイメージしたものに相反するものでもありません。どちらかというと全く関連がなくむしろ横道にそれたものなのです。

 私はこのイメージを社会的価値観から90度ずれた、まさに横軸のイメージだと考察しました。

つまりは、長年人間が積み上げてきた社会という人間の共同生活をスムーズにするための価値観を縦軸として考えた場合、ロックンロールの概念とは、その価値観とは、90度ずれたまさに横軸の価値観なのではないか?と考えたわけです。

 そういうイメージを持って改めてロックンロールについて考えると、今まで全く理解できなかった、ロックンローラー達の歌詞や、言葉の意味がとてもしっくりと来るようになったんです。

ロックンロールは反社会的なものではない

ロックと呼ばれるジャンルの曲や、ロックミュージシャンの言動を、時折「反社会的だ」とする論調が垣間見える事があります。

 なんとなく、”不良”イメージの強いロックですが、そうでないロックもあります。

 

初期のブルーハーツも、

「1985」「チェルノブイリ」「青空」など、政治や社会に対する批判的なメッセージが込められたような曲が数々あり、

「社会派ロックバンド」と呼ばれていた時期がありました。

 

 しかし、ながら当の本人たちは、「社会派」と呼ばれることを相当嫌がっていたそうです。

 

ここで先ほどの縦軸、横軸というイメージを持ってくると、彼らが「社会派」と呼ばれることを嫌がる理由が自分の中でストンと落ちます。

 

恐らく、ブルーハーツを「社会派ロックバンド」と呼んでいた人達は、世間一般が縦軸思考の上から下に世の中を見ているところを、

ブルーハーツが下から上方向の、正に180度反対方向からの視点で、曲を制作しているととらえたのだろうと思います。

 

 なぜなら、彼らのような縦軸思考の価値観を持つ人には、縦軸の一次元の話しか存在しないからです。それほど、当時の世の中は、ここで言う所の縦軸の価値観があまりにも強固に支配している世の中だったからです。

 そんな縦一軸の世の中に、ブルーハーツが別の角度からの価値観を投げかけたのですが、頭の中が一次元の価値感しか無い人達には、それは、社会を180度反対方向からとらえたものとしか、判断しようがなかったのです。

 実際には、ブルーハーツが歌っている曲は、そんな縦軸の価値観を90度真横からとらえた曲だったのです。

彼らが社会派と呼ばれる事を嫌った理由は、「おめえら(縦軸野郎)と一緒にすんじゃねえ」という事なのじゃないでしょうかね?

 

 きっとヒロトやマーシーの頭の中には、縦軸と横軸の両方のニ次元の価値観が備わっていたんだと思います。

 世の中のほとんどが一次元=直線的な価値観しかなかった時代に、ブルーハーツが横軸の価値観を与える事によって、直線一軸しかなかった価値感に横軸が加わり、世界が一気に二次元の平面的な価値観に広がったわけです。

このころのブルーハーツがあまりにもセンセーショナルだったことは言うまでもありません。

 もちろん、世の中に横軸の世界を与えたロックバンドはブルーハーツだけではありません。

感性の豊かな人は、他のどのロックバンドからでも、まったく同じような豊かな価値観を受け取っていたことでしょう。

 

 しかし、その中でも初期のブルーハーツが発していたメッセージは、とてもハッキリしていて、わかりやすく、

どっぷりと縦軸思考の凝り固まった人でも、ほんの少しの心の片隅にあるモヤモヤっとした気持ちですら、火をつけてしまうほどの強烈なインパクトがあったんだと思います。

 

「ブルーハーツは初期が一番良かった」という人達は私と同じロック音痴です。

私自身、ブルーハーツにはまったのは、特に初期のブルーハーツの時代です。

 また、ブルーハーツが世の中で一番ウケていた時代も、初期の頃ですよね。

 

私自身、今聞いてもこのころのブルーハーツの曲はいいです。で、何が良いのか?というと

やっぱり、詩がいいんですよ。ロック音痴の私でも、なんとなくわかるんです。

 

 この頃のブルーハーツの歌詞は、結構具体的なんですよね。それでも意味が分からない歌詞も未だにたくさんあるのですが、

なんとなくメッセージが伝わってくる。そういう歌詞がほとんどだったんです。

 

 私は自分で言うのもなんですが、超”縦軸”一本型人間でした。ハッキリ言ってロックのロの字のセンスのかけらもない人間です。

私のようなセンサーの感度が全くない人間が、彼らの曲のメッセージを受け止めらえるのですから、ロックンロールとしてはかなり具体的な歌詞だったんだと思います。

 しかし、よくよく考えてみると、「具体的すぎたり、わかりやすすぎる」ことは、ロックンロールの概念的には、「ダサさ」につながる気はしませんか?

 「ダサい」という事は、横軸の価値観からすると、致命的だと思うんですよ。

勝手な想像ですが、作り手のヒロトやマーシーからすると、今あのころの曲を振り返ると、ある種の「くどさ」を感じるんじゃないんでしょうかね?

 世の中全体が一次元の価値感一色に染まっている時代だから、新しい価値を投げかけたのであって、あの時代だからちょうど良かったんだと思うんですよ。

 今、すでにブルーハーツや他のロック歌手が新たな価値観を浸透させた世の中にあって、あの時代の曲を振り返ると、センサーの感度の高い人にとっては、すこし「しつこさ」を感じるのかもしれません。 

 その時代その瞬間に、最高にカッコいい曲を作る事が、彼らにとってのロックンロールであり、その時期が過ぎれば、それはロックではない懐メロの歌謡曲になってしまうだと思うんです。

 彼らが過去の曲をライブでは一切演奏しない最大の理由はそこにあるんじゃないでしょうかね?

 それを歌う事は、彼ら自身がロックミュージシャンである事を否定することになるので、決して過去の曲を振り返らないだと思うんです。

 

ところで私は、いつも説明が長いと言われます。言いたい事を短くまとめる事がとても苦手なのです。

 しかし、ロックの曲の作り手は、曲と短い詩だけで、自分達のやりたい事伝えたい事、表現したい事をまとめなければなりません。

 

また、聞き手も、その少ない情報の暗号のようなものを読み解くセンスが必要です。

 

 それにしても、この説明はクドいですよね。ロックのセンスのかけらもない・・・・

 

ところで、縦軸社会に対する、横軸をロックとイメージすると。同じくとってもわかりやすい曲を思い出したので、紹介しておきます。

The Boom の「おりこうさん」です。https://www.youtube.com/watch?v=wcs9wXta3kQ

解説は全く必要ないとおもいますが、

特に、サビの部分の「YES NO だけど答えは YES NO、YES NO いつも 答えはYES NO」の部分は、一次元の社会をまさに横から見た歌詞ですよね。

くどくてすみません。

 

一次元の社会、資本主義社会の限界とロックンロール

原始人の時代から、人間は文明を積み重ね。戦争に次ぐ戦争を繰り返しながら、今日の社会を気づき上げてきました。

 しかし、オオカミ少年の事例も示しているように、我々は生まれた瞬間は、野蛮な野猿と大して変わらない生き物なのです。

 

その野蛮なはずの生き物を、大人になるまでに、矯正していかなければ、現代のこの世の中の秩序を維持していくことは不可能でしょう。

普段生きていると、ほとんど意識をすることはありませんが、これって人間の生き物としての本能に対しては、とてつもないストレスだと思うんですよね。

 そのストレスを全て吸収して、社会の形にはめていくだけの強制力というか矯正力が今の世の中には有るわけです。

それが、縦軸一次元的な価値観の根源だと私は思うのです。

 

 ただ、この縦軸一次元の強制力は、あまりにも強力なため、油断していると(意識をせずに生きていると)、知らない間に、あっという間に完全一次元人間になってしまいます。

 第二次世界大戦後の20世紀の後半から世の中は、「より豊かに」「より豊かに」と、世の中全体が効率よく社会を運営し、社会全体が物質的な豊さを追い求めてきました。

 しかしながら、物質的な豊かさと、幸福とは、比例関係にないという事を多くの人が気づき始めているのが21世紀の世の中ではないでしょうかね?

資本主義の世の中に限界を感じているのは、私だけではないのじゃないでしょうか?いや、誰もがこころのどこかにそれは感じていると思います。

 

 僕は、この社会全体の憂鬱は、社会全体が人間に一次元の価値観を矯正しすぎた副作用ではないかと最近感じています。

 

このある種の全体的な憂鬱感は、特に資本主義の先進国に蔓延しているような気がしてならないのです。

 

ロックンロールが影響を与えているのは、ほとんどが先進国

ロックというと全世界で影響を与えているような気がしますが、よくよく考えてみると、そうでもありません。

 

例えば、僕はドミニカ共和国という国に二年間住んでいました。この国は、途上国というよりは中進国に近い国ですが、少なくとも先進国とは言えないような国です。

 この国に流れる音楽は、バチャータ、メレンゲ、サルサと言ったものがほとんどです。

この国に滞在する二年間に、ロックを街中から聞いたことや、ロックをドミニカ人が聞いているのを見たことがありません。

 基本的にはアメリカの影響をかなり強く受けている国ですが、音楽に関してはその影響を一切感じられませんでした。

 

言語の違いの影響もあるかもしれませんが、少なくともあの国にロックンロールが根を張る事は無いだろうなと今となっては確信があります。

社会の型にハメようとする強烈な縦軸の価値観に対し、正確に90度真横の角度からの価値観をもたらすものがロックンロールであるという仮定に基づくと、

 そもそもドミニカ共和国という国は、人々を社会の型にハメようとするような見えない力の影響がほとんどありません。

あまり良い言い方ではないですが、シンプルに表現すると、その辺がグダグダなんですあの国は。

 ドミニカ共和国に限らず、開発途上の国のほとんどは、そういった見えない力が先進国に比べ未完成で、グダグダです。

縦の基準が定まらないのですから、横から見たってグダグダです。きっとこういう国にロックンロールを持ち込んでも、それが人々の心を射貫くことはほとんどないんじゃないでしょうかね。

発展途上国にはヤンキーがいない

私がドミニカ共和国に行って、最初に感じた事は、ヤンキー(不良)いないという事実でした。正確が粗暴でヤンチャという少年はいたとしても、グレるっという状況ではありません。

 ただ単に、ヤンチャなだけという感じです。そもそも、”不良”とか”ヤンキー”にあたる単語がドミニカ共和国にはありませんでした。要するに、そういうカテゴリーに当てはまるような人間やその概念が存在しないのです。

 実は、ドミニカ共和国に限らず、僕が旅行で行ったことのある発展途上国には、ヤンキーという概念がそもそもなかったように思います。

で、この構造というのが、ロックが発展途上国でしない構造と正に全く同じ構造なんじゃないか?と思うんですよね。

 そもそも、日本でも不良というのは、一次元的な縦軸社会に嫌気をさした思春期の少年が、縦軸のベルトコンベアーから横道にそれる行動ですよね?

それって、まさにロックンロールの世界とピッタンコなわけですよ。

実はヤンキーってセンサーがビンビン

ヤンキーにも色々います。縦軸社会に、ついていけなくなってドロップアウトする・・・そんなイメージが強いですよね。

でも、勉強はそこそこできて頭がいいのに、ヤンキーになる奴っていませんでしたか??で、そういうヤンキーって、筋金入りというか、まあリーダー格のヤンキーっていうんでしょうか?そういうヤンキーにアホなヤンキーが群がるというか・・・

 こういう人が恐らくヤンキーになった理由って、思秋期にいち早くこの社会の矛盾に敏感に反応したんだと思うんですよね。

縦軸方向のベルトコンベアーに乗って、「このままこれに乗って進んで、本当に良い人生送れるの?」って

 実際、資本主義の先進国においては、縦軸方向のベルトコンベアーは行き詰まりを見せています。「行き詰っている」と認めたくない人は多いと思いますが、少なくとも僕は限界だと確信しています。

 自分の子どもに、「勉強して、一流大学にはいって、一流企業に就職しなさい。そしたら幸せになれるよ」と自信を持って言えないですもんね。

かといって、「ヤンキーになれ、横道にそれろ。」とは勿論いいません。

 ただ、自分の子どもには、「より豊かな人生」を送ってほしいと常々思っています。

豊かな人生って??

 それこそ、ひと昔前なら、縦軸社会のベルトコンベアーにしっかりと乗る事が「豊かな人生を送る最短距離」とみんなが思っていたわけですよね。

でも、現実はそうではなかった。

 僕が、小学生ぐらいの時(30年~35年ぐらいまえですかね??)は、その疑問に、一部のセンサーの敏感な人達が気が付き始めた頃だったんだと思います。

ちょうどそのころ、ビーバップハイスクールがブームになってたり、BOOWYとか、ブルーハーツが流行ったりと、縦軸社会を”真横に”ぶった切ろうとする若者が全盛期を迎えていた時期だったと思います。

 縦軸社会の人達は、そんな彼等を、「180度社会を否定する人々」として、排除しようとしていました。 

しかし、実際には、彼らの行動は、「この世の中は、横軸という別の価値観があるんだよ!」という事を訴えていたんじゃないでしょうか??

 ロックンロールの概念とは、まさに社会に横軸という新たな価値観をもたらすものなんではないでしょうかね??

 

もちろん、横軸の価値観だけで、人間が社会生活を営む事は不可能です。でも、縦軸社会にも限界があるんですよ。決して豊な人生を送る事はできません。

 つまりは、ロックンロールは、我々人間に、縦軸に対して、横軸の価値観をもたらし、人生をより豊かにしてくれる存在であるという事なんですよ。

だって、そうじゃないですか?

 思秋期の頃のように、感性をむき出しにして、カッコいいと思ったものに、痺れて、憧れて、感動して。これって、人間の本来持っている、豊さの一つじゃないですか。

 世の中が縦軸のベルトコンベアーになっている事に気が付いて、それにいち早く気が付いてその軸を客観視し、そしてそれを真横に走っている軸=ロックンロールの存在に気が付くことができる。それって、感性がまだ潰れていない思春期がちょうどそのタイミングじゃないかと。

 で、大人になるにつれ、多くの人は知らない間にベルトコンベアーに乗せられて、知らない間にセンサーが壊されていく。

ほとんどの人は、これを「成長」とか「大人になる」と言いますが、横軸の感性を失っていっただけなんです。

実際には縦軸と横軸の両方を持った二次元の平面的な豊な価値観が、あっという間に直線的な一次元のつまらない感性しかもたない大人になってしまうという事ですね。

 そう思うと、僕が知っているロックの曲にも、まさにそのことを歌っているんだろうなという曲がいっぱいあります。

生まれた頃の感性は、ぐちゃぐちゃのどろどろ

子どもって生まれた頃はしっちゃかめっちゃかです。

 感性も価値観もぐちゃぐちゃのどろどろです。

 

もちろん、縦軸も横軸も何にもありません。

 

 子どもって無邪気で可愛いですが、同時にとっても残忍な一面もありますよね。

 

あれがそのまま大人になったら、そりゃあ大変です。世の中秩序もクソもありません。

 

 でも、そうだなあ、小学生ぐらいの時って、少なくとも僕は、めっちゃ楽しかったですよ。毎日が・・・

毎日ワクワクどきどき、虫捕まえて興奮して、友達としょうもない事言い合って馬鹿笑いしたり・・・

あるいは、ちょっとした事で言い合いして、殴り合いの喧嘩してね。

 

 あの頃に戻れたら毎日楽しいだろうなって思いませんか?

 

 僕は、人間って成長とともに、自然にいわゆる”大人”になっていくんだと思っていました。それは仕方の無い事だと思ってました。

 

 で、この記事書いていてふと思い出したんです。

ドミニカ共和国にいたとき、スペイン語の語学学校に最初の数か月言ってたんですが、

そこの卒業パーティーで、そこのドミニカ人の先生達に「なんか、日本の遊びを教えてくれ」って言われたんで、

「椅子取りゲーム」を一緒にやったんですよ。

 

 そしたら、自分より年上の40才、50才のおっちゃん、おばちゃんが、きゃっきゃっきゃっきゃ言って、大盛り上がりで、それはもうこっちもドン引きするぐらい盛り上がったんですよね。そのうち、椅子の取り合いで、喧嘩も始まって、そりゃあもう大変な状況になりました。

 あの時は「こいつら成長してないな~」と思ったんですけど、今思うと、違うんですよね。

要するに、失ってないんですよ。ドミニカの人達は。センサーが壊れていないんですね。

 

 日本に住んでると、あんな単純なゲームは子どもの時しか楽しめないと思っていますよね??

でも、センサーが壊れていなければ、そんな事でも、楽しめるんですよ。いいおっちゃん、おばちゃんでも。

 

 ドミニカ共和国にいる間は、そんな体験の連続でした。まあ、日本に比べたら、何もかも無いものだらけの国でしたが、圧倒的に「豊さ」では負けているな、と。

その当時は、その原因が全く理解できなかったんですけどね。

 

クロマニヨンズの名前の由来

こちらはクロマニヨンズのイメージキャラクター??のイラストですが、

類人猿みたいなキャラクターが、レコードをもっていますね。

 

この記事を書くまで、このキャラクターの意味が全く理解できていなかったのですが、

今見ると、とってもしっくりきませんかね??少なくとも、僕はこの記事に書いていたことを裏付けてくれていると確信しています。

 

 そして、興味深いのが、ザ・クロマニヨンズというグループ名の由来です。ちょっとこの動画を見てください。 

 

 なんと、ヒロトが新しいバンド名を「クロマニヨンズはどうかと思うんじゃが・・・・」というと、すでにマーシーがポケット用意していた新バンド名も「クロマニヨンズ」だったというんです。

 二人の目指す方向が、「クロマニヨン」というちょうど上のイラストの用な、野蛮な生き物、つまりは、「人間の原点に帰ろうぜ!」っという方向で一致していたんじゃないでしょうか??

 そうでなければ、こんな偶然が起こり得るはずはありませんよね。

センサーを少しづつ取り戻そう

クロマニヨンズの名前の由来の動画を探そうと思って、

グーグルの検索窓に、「クロマニヨンズ 名前の由来」と打ち込んで検索をかけたら、

偶然、こんな記事「【ブルーハーツ→クロマニヨンズ】加齢とともに歌詞が幼稚になる件」に出会いました。

 

 本当にここに書いてある通りで、ブルーハーツからハイロウズ、クロマニヨンズと、ヒロトとマーシーの作る曲は、どんどん歌詞がシンプルになってきています。

 幼稚という表現も決して間違っていないと思います。

個人的に、彼等の表現をこうとらえています。

 「歌詞の意味なんて、考えるんじゃねえ。直観的に感じたらいいんだよ。」

 

ただ、センサーが随分壊れている僕には、今のクロマニヨンズの曲がどうしてもピンとこないんです。悔しいんですが・・・

 

 でも、僕は諦めてはいないんですよね。

というのは、最近、ちょっとハイロウズにはまり始めてるんですよ。

 

 20歳ぐらいの頃、友達に誘われてハイロウズのライブ見に行ったんですけど、その時はアルバム「バウムクーヘン」のツアーのライブでした。

でも、その頃遅ればせながらブルーハーツにはまっていた僕は、バウムクーヘンの曲どれを聞いても、ピンとこなかったです。

 

 でも最近になり、このバウムクーヘンの曲が自分の中でしっくりくるようになったんですよ。

特に「罪と罰」っていう曲の動画見て、ハマってしまって、それ以来何十回もみています。今見るとめっちゃカッコいいんですよね。

 20才の時は、ピンとこなかったものが、今になってビンビンに感じれるようになってるんですよね。

これって、センサーが復活してる兆しって事なんじゃないかなと。

 

 甲本ヒロトは(マーシーも)天才です。

そんな彼らの歴史をたどる事で、僕の人生は豊かさを取り戻しつつあるんじゃないかと。

 

 クロマニヨンズの曲がビンビンに感じられ日もそう遠くないでしょう。

ヒロトの言うロックンロール=「宇宙規模のバカでかい一つの部屋」とは?

前回記事にも載せましたが、水道橋博士との対談で、ヒロトは

「ロックンロールとは、宇宙規模のバカでかい一つの部屋だと思う」と発言しています。

 

 正直に言えば、現段階でも、僕には、この宇宙規模のバカでかい一つの部屋というものをイメージすることはできません。

ただ、一次元の価値観(直線)をロックンロールにより、二次元(平面)に拡大し、さらに、そこに高さの軸を加えると、それは空間になります。

 

 まさに、広がった価値観のその先に、ロックンロールの部屋があるように思えてなりません。そこに、ジョンレノン、ミックジャガー、そして甲本ヒロトもいるんだと思います。

 ヒロトは、扉を開け、その部屋に入れば、それはみんな並列で、上も下もないと言っていますね。

ジョンレノンやミックジャガー、ヒロトと並列にならぶんですよ。そんな豊かな世界に入ってみたいですよね。

 

おまけ「ボヘミアンラプソディ」めっちゃ見たいぜ! 

今、ボヘミアンラプソディ―(映画)がめっちゃ流行ってます。

 実は僕、クイーンってほとんど知らなかったんです。で、このボヘミアンラプソディ―がめっちゃテレビとかでも話題になってて、それ見てたら、フレディーマーキュリーの人生がめっちゃ興味湧いてるんですよね。

 でも、すぐに見に行くんじゃなくて、この記事が完成したら見に行こうと思ってるんですよ。

そしたら、きっともっと深く感動できるんじゃないかって。

 

 この冬休み、ボヘミアンラプソディ見て、感動して、もうひと記事書きたいと思います!

いやー楽しみだ